”マイストーリー”と題した、みんなの大麻に関するストーリー
カンナビスに対する気持ちは人それぞれ。
なかなか語ることが許されない環境にいるからこそ、共有するに値するシェアしたい話。
そんな第一弾目!麻井さん(匿名)が語る
”日本での大麻購入遍歴”
日本で大麻を手に入れる手段や種類は、時代によって形を変えてきた。
私が初めて大麻をやり出した92年93年頃の主流は、俗にイラン人、イラン人と呼ばれていた日本にいる外国人たちから買うのが一般的であった。
一色担にイラン人と呼んでいたが、実際のところは、パキスタンという人間もいたし、イスラエル人などもいた。
彼らは、主に上野駅周辺、新宿に近い新大久保に集団でいることが多かった。
偽造のテレホンカードなどを当時は主にに売っていた。
それで彼らは、「なに欲しい?」などとよく聞いてくる。そうすると大体、チョコ、いわゆる大麻樹脂を彼らは持っていた。
一つ3000円。(大体1gくらい)
二つだと5000円。
おまけするよ。もしくは、おまけしてよ、と交渉する。そうするとわりと気前のいいものが殆どだった。
新大久保だと駅の裏通りに売春婦たちと紛れながらいて、大体は植木鉢の下にモノを隠し置いてた。
真っ黒い樹脂で、どこのモノだったか定かではないが、よかった。
埼玉県の川口近辺にもよく買いに行ったことがある。
あとは、東京の西側だと武蔵小杉近辺、南武線沿線。こちらは外国人の売人たちがほぼいなくなる後期、98年前後だった。
他では、葛飾区、四ツ谷三丁目、この辺りの外国人売人たちにもだいぶお世話になった。
大体は、一度目で電話番号を教えてくれる。それで、着く前、欲しい時に電話をして待ち合わせをして取引に至る。
横の繋がりで、先輩や友達から教えてもらい、また広めることも多々あった。
「あそこのあいつのとこ、いいよ。おまけすげえしてくれるし。」
といった具合が多かった。
まだ日本に携帯電話なんかが無い頃が始まり。
携帯電話が一般的に普及されるようになった97年、98年頃、その頃、そういった売人の番号を登録した憶えもあるので、外国人売人から買うのが主流だったのは2000年頃までだったと思う。
90年代後半から2000年代前半において、自分が日本、東京で手に入れる主な手段としていたのは、横浜に住んでいた後輩。音楽活動をしていた中高の後輩で、90年代後半によく遊んでいた人間。後に、結構有名なレゲエミュージシャンになった。
あとは、やはり音楽をやっていた友人のDJ経由やその人とツテで探して手に入れることをしていた。
その頃になると、輸入物は輸入物でも、ブランド物が多く、値段も大体1gで6000円〜8000円と、昔の相場、3000円からすると高くなってた。
昔の葉っぱは、赤茶っぽいものが殆どであったが、緑色で香りも強いものに変わっていた。
2001年、よく憶えてるのが、オランダのカンナビスカップでチャンピオンを取った品種、”ホワイトウィドウ、ジャックヘラー、ブルーベリー”、これらのモノは本当に味も何もかもがよかった。
それまで、主流だったり、日本でメジャーな品種は、スカンクやノーザンライツ。
少なくとも自分の周りではそうだった。
それが2001年からガラッと変わった。
ちょうど自分は、お金も時間も割に自由に裕福にあった頃だったので、そのチャンピオンクラスのモノを大量に仕入れ、毎日気持ちよく一服して過ごしていた。
川沿いに住んでいたので、そこを愛犬と散歩しながら、ジョイントを吸う。
いま思っても、とても贅沢でノンストレスな日々を送っていたと思う。
ちなみに犬も大麻の匂いは覚える。
そして、絶対に嫌いではないのは分かった。タバコの煙よりは絶対に。
自分が好きだったからというのもあっただろうけど、うちの犬もいいトリップをしていたのかもしれない。
一度、先輩が7人くらいのなか、うちの犬も一緒にボングやらジョイントなどを回して、とにかく吸いまくった時の思い出がある。
ちょっとふらふらしながらも、ちゃんと尻尾振ってた愛犬の姿も記憶にあったりして。
その頃やその昔も手に入れる大麻には必ず種がついてた。種が多いと友人などと文句を言っていた時期もあった。
2001年頃になって、いい品種のモノについている種を外の川沿いの公園などに撒くことをしてみた。
結構、色々な場所に適当に撒いたり、土に埋めたりしていた。
そうすると、一月くらいで生えてたりする。
おおー、と初めは感心した。
実際、栽培してた人間に聞いてはいたり、知識も少しはあったけど、やっぱり強いんだな、と少し感激に近いものも感じた。
自分の背くらいになったところを盗まれたという後輩の話も聞いていたので、バレる前に吸いたいなと、犬の散歩途中は必ず見に行く習慣がついた。
もともと散歩道だったので、苦もなく、怪しいこともなく。
ただ気づいた。
気づいたときは、一度目は遅かったのだが…2ヶ月に一回くらいか芝がボウボウになると、区の行政が芝刈りに来るんだった。
それを忘れてて、見事に刈られた。
一箇所でなく、草が生えてるところ全部やるので、根こそぎやられた。
それでもまた撒いた。芝刈りの直ぐ後に撒いたので、これは暫く育てられる。
そう踏んで、また育つのを待った。
初夏でいい時だったので、早くに大きく育つだろうと。
家の小さな鉢にも植えた。種を何個か植えて、これまた直ぐ芽が出た。
ただこれは、親にすぐ見つかって、これは大麻だろ!?と泣く泣く確か処分した。
公園のほうの大麻は、順調に背を伸ばしてた。
楽しみにしていたある日、幼馴染の女性に犬の散歩中、こう言われた。
「わたし、この辺で、アレ生えてるとこ見つけたよー。けっこー育ってる。びっくりして、よく見てみたけど、たぶんそうだろうなーて。」
「なっ、それ、あそこだろ?!」
「…うん。」
「それ、おれのだから!」
慌てて、犬とそのまま取りに行った。
一度、そろそろまた芝刈りが入ると思った頃、別の場所に植え替えたら死んでしまった経験もあり、とてもデリケートなのは身をもっても知っていた。
なので、うーん。まだ勿体無いと思ったけど、自分の膝上くらいの大麻草を持って帰った。
聞いてた通り、やっぱり可愛く思えて、その一方で生き物のようにも感じられた。
匂いはそのものだった。
どうしようか、と、とりあえず味見をしたいので、バッツもなく切なかったが、ドライヤーで乾かし、パイプで普通に吸ってみた。
やはりいい味だった。まろやかに飛ぶ感じも得た。
集めてた良い種のうちのどれかは分からないけど、あぁー、これがちゃんと育ってたら、すごい良いものできたんじゃないかと。
今振り返ってもそう思えるくらいの上出来な大麻草だった。
近頃、ここ何年かは少なくとも、種が入ってない。どこで購入する時も、ほぼ種なしなのが日本の現状だと感じてる。
自分自身も積極的に日本で手に入れることを止めたのとは関係なくそうみたいだ。
昔の赤茶っぽいものやいいチョコ、チャンピオンクラスのモノ、種、貴重だったのだなと思う。
あとは、変わりネタでは、
オウムネタ、小室ネタ、そんな風に呼ばれるモノも日本に出回っていた時期もあったなと思い出す。
オウムはオウム真理教。小室は一世を風靡した小室哲哉たちから回ってきたというモノ。どちらもよかったと記憶しています。
あとは、水耕栽培がとても頻繁に流行ったのが、やはり2000年前半からだったと思います。
ただ、水耕栽培のモノは、毎日吸ってると飽きるのか、味がなれると、トリップにも限界があるよう感じています。
実際、いくら摂取してもそれ以上にはいけない。そうなるものが大麻草の特徴または水耕栽培のものに多いような気がしてます。
ノンフィクション文章提供/麻井さん
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オウムネタワロタw
大麻に興味があり本文大変勉強になりました。
私は数年、数年働いていて、それは私が本当に大好きな国、大麻であり、最初はオンラインでなくても売り手を見つけるのは困難でした。 このサイト(https://bit.ly/2DgoFKD)を見つけた後、日本では問題なく配信できます。